身の上話をしよう。

私の小学校では小学4年生から部活動をすることになっていた。
クソ田舎に生まれ育った中卒野郎の我が父は、身体の弱い私を水泳部に入れたがった。
それは私の小児喘息が少しでも良くなるようにという親心からだったが、
当時9歳のクソガキであった私には知ったことではなかった。

当時私は近所の先輩が入っていた吹奏楽部の演奏に夢中であり、
頭が固い同士である父と私が大喧嘩になったのはもはや必然であった。

しかしながら、いかに父を言い負かしたとしても、9歳のガキの人権など儚いものだった。

ところが私が家出という名の散歩から帰ると、一転して父は吹奏楽部に入部することを了承した。
当時は喜び過ぎてなぜ父が意見を曲げたのか気にもかけていなかったが、
中学に上がるころ酔っぱらった母親から聞いた話ではこうだ。

私が捨て台詞を吐いて飛び出して行ったあと、炬燵で漫画を読んでいた姉が父にぽつりと言ったそうだ。
「私は水泳部に入ったことを本当に後悔している」と。
私と同じく小児喘息であった姉はやはり小学4年の時に父の勧めで水泳部に入部していた。
しかし、姉は「本当はリコーダー部に入りたかった」そうである。
身体が弱く、練習の最後まで水につかっていることができない姉は、
唇が青くなるとプールサイドで休むように指示されてしまう。
そうすると、校舎からリコーダーの音が聞こえてくる。
毎日その音を聞いてなんだかなぁと思ったのだそうだ。
一通り自分のことを報告して、最後に姉はこう言ったらしい。
「だからせめて妹には、好きな部活を選ばせてあげてほしい」

これを聞いたときは、そうなのかありがとう姉貴。程度の感慨だったが、
それから20年、私は何かにつけてこのことを思い出す。
もし私が姉の立場だったとして、果たして同じことが言えただろうか。

私が苦しんだことを、あなたは苦しまなくていいのだと、
心の底から言えるだろうか。

私はつらく、苦しかったが、それでも日々頑張った。
だからお前も頑張れよ、などと言ってしまうのではないだろうか。
これは裏を返せば「お前も苦しめ」と言っているのと変わらないのではないか。
それは相手を変えた復讐なのではないのか

自分が嫌だったことを、相手に決してさせてはならない、という美徳を、
姉はたった11歳で持ち合わせていた。

20年近くたって、私にはまだこの美徳はない。
「お前ももっと頑張れよ」と言わないためには、いまだ多大な努力を要する。

しかし、努力をすれば可能なのだ。

話をブログテーマに戻す。

2015年12月、それまで男子フィギュアスケートというものにまったく興味のなかった私は、
Legendsでやたら猛々しいステップを踏む少年のにわかファンになった。
2016年12月にはニヤニヤしながら彼が泣くのを眺め、2017年3月ごろついに彼についてネットで検索するようになった。

しかしこれが間違いであった。

きっと昌磨ファンで、フィギュアスケート関連のブログを読んだことがある人なら
一度は昌磨がひどく誹謗中傷されているのを見たことがあるだろう。
私は見た。
うっかりブログランキングを上から順に覗いていってしまったのだ。

そしてその時私が読んだ昌磨を侮辱しているブログの全ては羽生結弦のファンブログだった。

あれ以来、私は羽生結弦を見ると吐き気がする。
一度カキに当たると二度と食べたくなくなるというが、
私は羽生結弦に当たってしまったわけだ。

しかしこのままでいいのだろうか?
言うまでもなく羽生結弦は私に害をなしたことはない。当然だ。会ったこともないのだから。

どうして公のネット環境で誹謗中傷を垂れ流すようなクズのために、
私が羽生結弦を嫌いにならねばならんのだ。ばかばかしいにもほどがある。

そうしてオリンピックシーズンを鬱々と過ごし、今シーズンもイライラしながら状況を見ていて、私は考えた。今こそ「自分が嫌だったことを、相手に決してさせてはならない」を行うべきなのだと。

私は私の好きな選手が誹謗中傷されるのを見るのはとてもつらかった。
吐き気をもよおすほど苦しかった。
だから次に誰かが宇野昌磨にはまってネットブログを読むときに
見ないでおいたほうが良いブログがあるなら、それを避けられるように
ここにまとめていこうと思いついたのだ。

次に昌磨のファンになる人の苦しみが減るように

そして、昌磨の次にスターになる選手のファンが
私と同じ苦しみを味わうことがないように


そしていつか私が羽生結弦のファンとか言うクズどもを克服し、
羽生結弦の演技をちゃんと見るために

私はここにブログを作る




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