昌磨ファンが読むべき羽生ブログ

昌磨ファンによるファン観測日記。 ブログ主は基本口悪いよ。

カテゴリ: ファン観測

いっつも長居しちゃう野球ブログに
ちょっと前興味深い記事が上がった。

指導者、スポーツ界のモラルハザードの悲惨さ
今の日本スポーツ界の病理は深い。指導者たちは、選手の健康よりも、ルールを順守することよりも、目先の勝利を求めているのだ。(中略)こうした指導者をスポーツの現場から引き離さない限り、何個メダルをとろうとも、日本はスポーツ後進国だということになるだろう

全日本中、素晴らしい演技の数々とは裏腹に
もやもやとした苛立ちを覚えたので、それについて書こうと思う。

あ、昌磨の怪我のことじゃありません。
それについては言いたいことが658492個くらいあるけど、今は別の話。


ちょっと前、女子レスリングのパワハラ問題でワーワー騒いでいた時も
「あれぐらい厳しくしないと勝てないのだから」
とか
「結局勝てる指導が求められるんだ」
とか言う人、うようよいたよね。

昌磨についても、いつも2位のくせにとか、勝つためには海外のコーチつけろとか言うひと、いるよね。

それから正直この全日本で1位の昌磨より高橋大輔の方が報道多くてもやってる昌磨ファンも、いるよね。

あと推し選手の成績が振るわなくてイライラしてるファンも、いるよね。


そういう人たちにいっぺん聞いてみたい。

スポーツの目的とはなにか。

社会に「スポーツ」というものが存在する意義はなんなのか。

昌磨はちゃんとわかってる。

「スポーツは真剣勝負の先にある美しいものだと信じている」

昌磨が試合に求めてるものは「その先の美しいもの」

勝利というのは、それを手にするための1手段、あるいは美しいものに付随してくるおまけに過ぎない。

昌磨はちゃーんとそれを解ってるし、実践している。
なぜならみほことまちこがそうやって育てたから。


わかっていないのは
一部のファンとマスコミの方だ

今回昌磨よりも高橋大輔選手の報道が多いのは、私は別に変に思わない。

なぜなら彼は「その先の美しいもの」を今大会で達成した人だからだ。
彼の活躍を目の色を変えて喜ぶ三十路おやじを私は何人も知ってるよ。

じゃぁ昌磨は「その先の美しいもの」を手にできなかったのかって?
そんなわけない。私は昌磨のFPだけでもう10回泣いてる。
でも昌磨がこれから成し遂げる「美しいもの」は
まだまだこんなもんじゃねぇんだわ。


そしてその「美しいもの」は
勝利という結果でも
マスコミや新聞からの高評価でもない。

どうしてわからないの。
目先の勝利を求めてしまっているのは、
新聞やテレビでの称賛ばかりを気にしているのは、
そういう方向に選手やコーチを駆り立てているのは、
私たち1人1人、全員なんだよ。


去年の全日本、誰が何位だったかなんて既に曖昧だ。
10年後はきっと優勝者が誰かも覚えていないだろう。
けれど本郷理華のカルミナ・ブラーナを忘れることはない。

記録よりも記憶に残る演技がしたい。

選手たちはよくそういう。
この言葉こそ
最もスポーツというものの目的を表しているんじゃないのか







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次から次へと
フィギュアスケートファン界隈はいざこざが絶えないなぁ

ものまね芸人を面白いとか好きとか思ったことないけど
根も葉もない名誉棄損を受けた直後に集中砲火は
ちょっとかわいそうになってくる。
こいつも日銭を稼いで食っていかにゃならんのだろうに。

なんで羽生選手のファンがあの小物芸人に粘着してんのかっていうと
誇り(Pride)を傷つけられたって思ってるからでしょ?
つまり
 私たちの誇り高い羽生結弦を貶めるものは許さん!
というわけだ。

恐ろしいことだ。彼ら彼女らは、自分の行動が正義だと信じている。
聖戦でもしてるのか?かみはいだいなーり、て叫べばなんでも許されると思ってんの?

しかし、彼らが傷つけられたと主張する「誇り(Pride)」とはいったい何だ?

羽生結弦の名誉?馬鹿言っちゃいけない。
ものまね芸人が週刊誌に叩かれたことと羽生結弦は何ら関係ない。

傷ついたとしたら、それはファンの気持ち
つまりファンの「誇り」が傷ついた、てことでしょ。

しかし、ファンの誇りって、なんだね。

私、応援しているスポーツ選手はいろいろいるけど
その選手が活躍して嬉しかったことはあれど
誇らしかったことってないよ。

というか、「推しが活躍して誇らしい」という表現に強烈な違和感を覚えるんだわ。

一番最近その違和感を持ったのは
大谷翔平がメジャーデビューして、飲み仲間の横浜ファンに
「大谷は凄いね~。ハムファンは、誇らしいでしょ?」
って言われたとき。

ファイターズの愛すべきクソガキが世界に羽ばたいていくのは
そりゃぁもう喜ばしいことだ。
アメリカでも相変わらずブランコ漕ぐ5歳児の顔で野球しているの見れて嬉しいよ。

でも、ただ見ていただけに過ぎない1ファンが
いったい何を誇るというのだ。

ただ見ていたこと?他ファンよりかは頻繁に見ていたこと?
昔からハムファンで、二刀流批判されてるときも応援してたこと?
それと翔平の活躍とにいったい何の関係があるの?

大谷翔平を誇りだといえるのは
彼の活躍に実際コミットしたことがあるやつだけだろう。

そりゃぁリップサービスで「みなさんの応援のおかげです」と言ってくれるだろうけど
ぶっちゃけその日の湿度が及ぼす影響よりもさらに影響ないから。
むしろファンの声援よりちょうどいい湿度かどうかの方がパフォーマンスに影響するから。

ファンはいつでも
彼らに楽しませてもらってるだけで
なにかしてるわけじゃない。
ただ、消費してるだけ。

キリスト教でPrideがなんで7つの大罪に指定されてるかって言うと
「尊いのは神であって、それを信仰する人間が、自分を尊いと考えるなどは考え違いだ」
っていう理屈からなんだよ

スポーツ選手の名誉や誇りは
彼らと、その身内だけのもの。
それをファンが誇るのは
やっぱり私には傲慢に思える。

どんなスポーツにおいてもね。



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羽生さんを応援してるからって
なんで一ファンが先輩面してウエメセしてくんの
確かに羽生さんは昌磨の先輩だけど
あんたは先輩でも何でもねーよ


みたいな愚痴が私のTLを流れておるわ。

無自覚に羽生選手と昌磨の関係をファン同士の関係に持ちこうもする人も
それを感じ取ってすごく対抗心燃やしちゃってる人も

めっちゃ見たことあるでこの構図。

社宅の専業主婦ヒエラルキーやないかい

つまり旦那の会社での地位=自分の地位

または彼氏のスペックを比べてマウント取り合う女子

世の中、どこにでもいるもんだな~♪


羽生選手にとっても
昌磨にとっても

ファンなんてスリジャヤワルダナプラコッテ在住のベンジャミン氏と同じくらい
「だれおま」な人なんだけどね~。

想像してみなよ
ベンジャミン氏が自分を「オレの女」扱いして
周囲にウエメセで自慢している姿を

マジ、へそで茶が沸くって

ところで、ベンジャミンってインド系の名前だったっけ?
え?どうでもいい?
そう、その通り。

すごくどうでもいいわい


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私の母親は、会社やご近所では評判の良い人物だった。

これは彼女が「誰の悪口も言わない。誰かの悪口は聞くけど賛同しないで聞き流す」ということを徹底していたためである。


さてGPSがひと段落してTLを見回したら
なんとも、焼け野原ですね。

誰ファンとか関係なく
疲弊している人が多く見受けられます。

そして健気にも
不安やマイナスな言葉は心に留めて
代わりに推しの良いところを呟く!と宣言なさるアカウントも。

私もできればそうしていきたいものです。

だけど、それは
本当に可能だろうか。


確かに私の母は「外では」誰の悪口も言わなかった。
しかし「内側」では別である。

彼女は仕事から帰ったらソッコーで発泡酒を1缶開けて、
それから2缶目を片手に料理を作り、
3缶目を飲みながら食事し、
4缶目を空け切らない内に寝落ちていた。
そして寝落ちるまで絶えず夫、子供、上司、同僚、その他あらゆるものに悪態をつき続けた。

それをだれが見聞きしていたか?
彼女の子供たちだ。

彼女と子供たちの関係はどうなったか?
少なくとも私とは一時期「よく殺し合わずに済んだものだ」くらいの関係であった。

じゃぁ母がなにもかも悪かったかというと、そうとも思えない。

病弱な子供3人抱えて
低賃金な上昔気質で家事もろくにできない夫と暮らしていくには
仕事先やご近所の友人は絶対に無くせない命綱だったろう。外面を気にして当然である。

でも不安やストレスをたっぷんたっぷんになるまで溜め込んで
それでも常に笑顔で明るく、なんて
そんな事したら人間壊れてしまう。

彼女にこれ以上なにができただろう。


昨日、コメントに「こんなこと言えるところ、ほかにないので」という言葉をいただいた。
きっと何の気のない言葉だったのだと思います。

ただ私はこの言葉に非常に危機感を抱いた。
フィギュアスケートファンは今、愚痴を言うこともできないのだろうか。

愚痴ることは即ち、誰かへの攻撃になるだろうか。
きっとなり得てしまうのだろう。

けれど、あなたが悲しい時、腹立たし時、
それをただ押し殺して我慢するだけでは
あなたの心が死んでしまう。

私は、悲しんだこと、腹を立てたことを口にするのが
そんなに悪いことだとは思わない。

ただそうやって心に罹るもろもろを吐き出し終わったら
自分の吐き出したものは一体何だったのか、
吐き出したことで誰にどんな影響を及ぼすだろうかと、
振り返ってもう一度吐き出し直してみればいいじゃないかと思うのだ。

誹謗中傷を行うのは言語道断。間違ったことだ。
しかし、人間とは間違う生き物なのだ。

そして間違えてしまった言葉は
訂正や謝罪をすることで、正しく直せるものだと、私はそう思うんだがね。



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私の実験パートナーは、あまり学業に熱心ではなかった。

裕福な家庭育ちの彼女は、
私が食費を稼ぐために働き、通学電車の中で必死にレポートを書いているあいだに
せっせと買い物に行き、おすすめスイーツを買って私に持ってきてくれる子だった。

そして私がチーズケーキを食べているあいだに
私の過去レポを丸写しにし、なんとか落第を逃れていた。

当時よく私は彼女に説教を垂れたものだったが、
彼女はニコニコしながらそれを聞いて
次の日にはきれいさっぱり忘れ去っていた。

私たちの奇妙な友情関係は幸いにも現在まで続いてきたが
これはひとえに彼女が大変に寛大な心の持ち主だったからに他ならない。

当時私が垂れていた説教というのは
突き詰めれば「なぜ私のようにできないのか」
ということである。

なぜ私のように苦労しないのか。
なぜ私のように努力しないのか。

つまりそういう内容なわけである。

彼女と私は全く別の人間で
向いている方向も実現したい目標も全く異なるというのに。
学業で好成績を収めることが彼女の人生に如何に寄与してくれるというのか。
勘違いも甚だしいものだったと、今ならそう思う。

さてフランス杯が終わり、メドベデワについていろいろ取沙汰されている。
彼女のSNSにはひどい誹謗中傷が寄せられているそうだ。

「理解できないのは、次のような典型的な例。40歳の男性で、子供と奥さんがいて、どこかの管理職。その人が私のことを裏切り者だ、お前が嫌いだと言ってくる。これがどんどん溜まっていく。だから私はSNSを見るのをやめた。」

40歳男性で子供と奥さんがいて管理職、というのは人生成功している部類の人である。

誹謗中傷ブログについても
書いている人が子供のいる主婦や
お孫さんもいる女性と推察される例はいくつもある。

フィギュアスケートという金のかかる趣味に没頭でき、
かつ家庭も充実している。
彼女達の多くは成功者なのだ。

少なくとも土曜日に飲み過ぎたせいで未だに頭の痛いアラサー毒女よりは随分成功しているといえるだろう。

自分は成功している、と考える人間は
概して自分の成功の方法を他人に勧めがちである。

それは善意から行われるものだが、
勧められた方がこれを断ると、事態はなかなかややこしくなる。

せっかく正しい道を示してやったのに
それに従わずまごついている姿を見るのが苛立たしいからだろうか?

それとも
自分とは違う方法、違う成功の形を目の当たりにするのが恐ろしいからだろうか?

自分が最も素晴らしい、重要だと考えるものが
他者にとってはそうではない、という事実は
理性で理解しているつもりで、
ふとした瞬間、私たちを苛立たせ、攻撃的姿勢に仕立て上げる。

特に、「自分の方に正義がある」ように見える状況においては
ハッと我に返ることもできないのだ。

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